美味しさのかたち
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雑味(ざつみ)ってどんな味

 
 よく、日本酒のコメントで「雑味(ざつみ)」という言葉が使われています。

今日、お客さんがこの言葉を話題にされたたものですから、それについてはよく分かっていないことを改めて知った自分がいました。
そこで、「雑味」について考察してみました。

「雑味」・・・言葉からすると、きっと、雑(ざつ)な味なのでしょうね。

例えば、
「この酒のこの雑味を良しとするか否かは飲み手の好みと言えるだろう。」
等といったコメントを目にすることがあります。

それから、
「雑味も味わいのウチ、ただきれいなだけじゃダメなんだよ。」
等のコメントも目にします。

私、このコメントの意味が分からなくはないのですが、う〜ん、何だか言い訳を正当化しているようにも聞こえます。

おそらく、このコメントは、出来があまりよろしくない?味わいの酒、あるいはあまり良くない特徴のある味の酒を、嗜好品なのだから好むかどうかはその人次第ということを言っているのではないか、と解釈しています。

根本的に酒質に対する視点の違いということなんでしょう。
私ですと、「この酒、雑味のないきれいな出来だね。」とは使います。


それではここで、なぜ「雑味」なる言葉が生まれたのかを見てみたいと思います。

「精米」

この作業は、もみ殻を外した玄米の有用な澱粉質の他に、「雑味」の素となる蛋白質や脂肪分を含んでいるので、それらを削り取る作業です。

ここなんですね、「雑味」とよばれる言葉の最初は。

 想像するに、おそらくこの言葉は、蔵の造り手さんたちが出来あがった新酒を試す時、自らの酒をチェックする際に、思っていた味わいではないところの味があったりした場合に、それを表現する上手い言葉が無い中で「雑味」なる言葉を思い付き、良くない味わいの総称のようにして使ったのではないかと考えます。

それはつまり、原料としての米が食米と酒米に分かれていなかった時代。
そして、精米が今ほど高精白されなかった時代には、米の表層の蛋白質や、脂肪分が麹や酵母によって分解され、過度な着色や、味わいを阻害するような、出したくない成分となっていたのではないでしょうか。
そのことを指して「雑味」と総称して呼ぶようになったのではないかと思われます。

そしてそれは取りも直さず、良酒を造らんとする過程から発生した言葉のように思います。

では、蛋白質や脂肪分を必要以上に含んでいるとどんな味になるのでしょう。

やはり、言葉からしてきっと、雑(ざつ)な味なのでしょうね。
答えになっていませんね。
でも、これが答えなのかもしれません。

  ここが一番難しいところなのですが、蛋白質は旨みの成分である訳ですから美味しいと感じるものがいっぱい出てきてくれればいいのですが、実際は多すぎると「くどい味」になってしまいます。
過ぎたるは及ばざるが如しと言う訳です。
例えのコメントは、この「くどい」と感じるか「ゴクっとした味わい」と感じて飲みごたえがある等と感じるかどうかなのだと思います。
脂肪分は文字通り、多ければ脂っぽさを感じます。
これも、艶っぽいと感じればいいのでしょうけれども、普通は飲みずらいと感じます。


  一般的には、酒の味わいのコメントをする際に、不味いというニュアンスの表現を避けて行うのが通例なので、いつの間にか、この酒は何かが足りないとか、その反対にアミノ酸が多くてごわごわしているとか、もっと細かく微に入った悪い表現など、言えるものではないですから、この「雑味」があるとかないとかの表現を利用するようになり今に至ったのではないでしょうか。

あくまでも、製造段階でチェックする場合に使用される言葉であり、それが発展?して流通段階でも使われるようになり、そして今ではどこでも当たり前に使用されるようになっていった。

もし、そうだとすれば、この言葉を以てして一般的に製品となった酒の味わいのコメント、つまり商品の良しあしや個性、特徴を消費者に伝えたりする場合には、「雑味」の使い方を考慮するべきでしょう。

好みの問題にするのはどうなんでしょう。
有りかもしれませんし、いや、やはり違うかもしれません。

例えのコメントが間違っている訳ではありません。
但し方向として、お酒は嗜好品だからどんな酒でも好みの問題にすれば良いではないかといった流れが出来てしまうことを危惧する次第です。
何でも有りになってしまっては、「何が良い酒」という議論さえ成り立たなくなります。

それはつまり、本質的に酒質チェックとは違う使われ方になってしまいます。
「何が良い酒」なのか、その議論を踏まえた上で、その酒の特徴や個性を伝え、それが嗜好品として好みが分かれるというのなら話は分かります。

「雑味」の有る無しという表現、そして好みかどうかというコメント、それは私的にはこのように考えます。

料理の世界でも、この「雑味」という概念があるそうです。
それはどちらかというと「ちょっと付け足したからこそ、その料理の味に深みやペーソスが感じられるようになった。」
そんな感じで表現されます。
このちょっと付け足した部分こそ「雑味」と称されるものです。
これはよく家庭でも行われる、「かつおのだしをきれいに取り、そこにワザと煮干しのだしを取ってみたりするとか」ですね。
全く、最初に書いた例え
「雑味も味わいのウチ、ただきれいなだけじゃダメなんだよ。」
の通りの展開です。

ここから判断していきます。
 本来、かなり特徴のある個性派の酒であっても、酒質としての液体から感じるものは、きれいでなければいけません。
もし、いわゆるアミノ酸過多で味の多い酒だとしたら、それはバランスが悪いのであって、不味い酒なのです。
おそらく、そういう酒は酒質もきれいではないでしょう。
ごわごわしています。

但し、アミノ酸が数値の上でかなり多いとしても、味への出方が美味しく感じるような、よいカタチで寄与しているのであれば、それはつまり美味しい酒なのです。
そして、酸度も同じです。
味わいに寄与している場合と、どうも不味いと感じる場合では、液体としての酒質に問題があるのであって、酸が多い少ないということより何より、酸そのものの質の問題になります。

このような時、それらを美味しいと感ぜず、これに対し「雑味」という言葉を使うとしたら、それは表現としては一応理解できますが、その場合の酒はやはり出来の悪い不味い酒なのだと思います。



                                      
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