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【桜の季節に日本酒を想う】 昔から日本酒は、日本の四季を愛でながら楽しむことを演出してきました。 秋の十五夜には「月見酒」、冬に雪が深々と降れば「雪見酒」と、風流に浸りながら美味しく酒を楽しもうとなる訳ですが、なんと言っても春の桜を愛でながらの「花見酒」は、特に多くの人々が待ちわびながら楽しみにしておられます。 この桜のみごとな美しさを愛でる日本人の持つ感性は、日本酒の味わいにも同じ感性が働くのではないだろうかと思います。 一般的に日本人の多くは西洋の代表的な花であるバラを見ても、綺麗だとは思っても単純に綺麗と思うだけのようで内面に有する琴線に触れるようなことは無いようです。 しかし、桜を愛でる時はそれとは明らかに違う思いが自然と湧いてくるとでもいうのでしょうか、日本人だけが持つ何かがあるように思います。 つまり、桜を愛でる日本人の持つ感性は、ただ単に綺麗と感じるのとは違う別の何かが働くようです。 私は、このように桜とバラに対して違う働きをするこの日本人の持つ感性から、本当に美味しい日本酒とは何かを解くカギが内包されているのではないかと感じています。 本当に美味しい日本酒とは何か。 特に純米酒の美味しさとは何かを考える時、この桜を愛でる日本人の心、その想いに応えることの出来る味こそが求められるのでないでしょうか。 桜のすごさって何だろう。それはやはり、ぱっと咲いて、ぱっと散る。 きっと、この潔さにあるのでしょう。 自分もこんな生き方してみたいなあ。 未練たらしい生き方なんてしたくないよ。 そんな思いで桜を見つめている方もさぞや多くいらっしゃるのではないでしょうか。 つまりこれは「いき」と言う概念に繋がるのだと思います。 江戸っ子を代表するとされる生き方がいわゆる「いき」だとされる訳ですが、これは多くの日本人に今も脈々と伝承されている「美意識」なのだと思います。 それならば、日本で生まれた民族の酒「日本酒」の味わいもまた「いき」な味でなければなりません。 「いき」な味・・。 う〜ん、一体どんな味なんでしょう。 その味わいを文章でお伝えしようとすることは、今の私には不可能です。 又、それらを文章化すること事態がもしかすると「野暮」なのかもしれません。 ただ言えることは、造り手である杜氏さんや蔵元さんの感性が「いき」でなければ、やはり「いき」な味わいのお酒は生まれないと言う事です。 今回は、この桜の季節に私のひとり言にお付き合いを頂いた。 そうゆう事でひとつご容赦ください。 美味しい日本酒の有り様を、ぜひ皆様も桜を愛でながらお考え頂ければと思います。 2007年(平成19年)3月 |