美味しさのかたち
 酒屋慶風
     さかやけいふう

<ワイン考>
酒販店の立場から見たワインへの疑問(その3)

【高いワインと安いワイン】

ワインを求めて初めてご来店頂いたお客さんとの一コマです。

 「仕事で海外勤務をしていた時にワインを覚えました。
 日本に帰ってきてからは、いつもコンビニやスーパーでワインを買って飲んでいます。
 まあ、大概は1,000円以下のものですね。
 たまに、1,500円位までのものを買う位ですよ。
 だって、安いワインの味しか分からないですからね。

 何かの機会に、高いワインと言いますか高級ワインを飲むこともありますが、私には今まで
 飲んだものが「不味い」としか思えないのです。
 つまり私には、高いワインの味が理解できないので、もったいないから安いワインしか飲ま
 ないようにしています。」

との事でした。
しかし、これはちょっと残念な気がします。

それに対して、昔からワインの世界には「高級ワイン信仰」とでも言うべき捉え方があります。
それは、「高いワインは裏切らない。」というものです。
お値段は、やはり正直ですよ。
何て言われたりして。

こうして、ワインという飲み物に対して、真逆の感想と言いますか捉え方がある。
一体、ワインって何?と言いたくなります。
この答えは永遠に出ないのでしょうか。
解決策は無いのでしょうか。

ここで思うのですが
いわゆる高級ワインと言われる、認められるワインは一体どのような経緯を踏むのでしょう。
そのカテゴリーに入るであろうその価値は、どのように見ればいいのでしょう。

その辺りを見ていくことにします。
例えば、そうですね〜、高級万年筆。
いくら普段は使うことが無いという人であっても、それを手にして「書き味がどうもなあ〜」なんて感想が聞かれることはまず無いでしょう。
もちろん、その人の手や指になじむものでなければ、素晴らしい書き味は得られないかもしれませんが。
それでも、高級ワインを飲んで「不味い」としか思えない。
と言うような、それに類するような感想はないと思います。

高級紳士服。
着心地が悪いなあ〜、このスーツ。
無いでしょう、そういう感想は。

高級車。
乗り心地が悪いなあ〜。
有り得ませんね。

ワインだけが何ゆえに、こういう現象が起きるのでしょう。
もしかして、日本人だけがこのように感じるのでしょうか。
つまり、飲みなれない飲み物だから。
まあ、それはどうなのか分かりませんが、
しかし見方を変えれば、もったいないことだとも言えます。

だって、安いワインしか飲まないとしてもワインを飲んでおられる訳ですからね。
期待値が高かったのでしょう。
高級ワインという憧れの対象がね。
ここをクリアーして頂ければ、後はもう素晴らしいワインライフが待っているかも知れないのです。

美味しさの分かりやすさ。
それが無いから、いやワインは深淵であり奥が深いのだから。
高級と言われるワインはそりゃあ〜入門者にはちょっと手が出ないさ。
とまあ、永遠に解決しない議論が続くことになります。

でも、普通に生活している中で、そんな高級ワインなど必要ではない訳で、まあ、高いワインの味何て分からないなら分からないで困ることはありません。
自分が美味しいと思うワインを楽しんでいれば良いということになります。
そして、その延長線上に高いけれどより美味しいワインが存在すれば良い訳です。
ここが違ってしまうので、話がややこしいのですね。
堂々巡りになりそうなのでこの辺で止します。

高いワインは、味わいが単調ではないので、理解するのにかなり難しいワインがあるということは確かです。
コメントが一杯書いてある高いワイン。
すごく美味しそう。
でも、飲んでみたら、「不味い」と感じる。
何て飲み物なんだ。
どこが美味しいの?
何故にこんなに高いの?
さっぱり分からない。

でも、ここがスタートで良いと思うのです。

その次に、ステップとして良質な酸、良質なタンニン、バランスのとれた味わいから感じる複雑味。
その内のどれか一つでも理解できたとする。
すると、今まで不味いとしか思わなかったワインが少し違って見えてくる。
そうは言っても、美味しいと感じるかどうかは素直に思った通りで良いのだと思います。
そうしながら、奥深さが見えてきたら。

しかしながら、高いワインはどれも全てその価値があるかどうかは別だということです。
ここを間違ってはいけないのだと思います。
ですので、冒頭に書きました「高いワインは裏切らない」というのは、ちょっと違うのではないかと思います。
高いワインを飲むには、やはり、その価値を知るレベルにおられないと、もしかすると高くてもハズレを飲んでいることになりかねません。

なので、「安いワインしか飲まないのです。高いワインを飲んでも不味いとしか思わないですから。」
と、おしゃった方の方が、いつかは高くて美味しいワインを飲むようになっておられると思います。
「高いワインは裏切らない。」
という高級ワイン信仰の方は、逆に本当のワインの良さを理解されていないのかも知れないのです。
高ければ良いもの、間違いないものと思っておられるとしたら、ご自身で判断が付かないからなんてこと・・。
理屈ではないと思います。
コメントがいくら立派でも、又その通りの味だとしも、でも美味しいと感じなければそれまでのこと。
素直になった方が結局最後にはいいワインを楽しむことが出来るのではないでしょうか。

こうして見てきて、答えが出そうで出なかったのですが、今一度視点を変えてトライしてみることにします。

以前から思っているのですが、「いいクルマ」と「いいワイン」という言葉があったとします。
どちらも言葉として同じ感覚で捉えられると思います。
ところが、少し中に入ってみるとどうもすっきりとしないのがワインなのです。

「いいクルマ」という言葉が使われたとしても、軽自動車といわゆる高級車とでは、その価値観が違うのは当然ですよね。
軽自動車という括りのなかで、「いいクルマ」の呼び声をもらう訳ですね。
軽自動車なんだけど、いわゆる高級車と比べても全くひけをとらないいいクルマという訳ではないでしょう。

ちゃんと括りがありますよね。
いいクルマだよ、あの「軽の○△」は。
そこに人によって伝わり方が違うということは、ほとんどないと言えます。

ところが日本でのワインに対する捉え方は、この括りがとてもあいまいです。
この辺りがもう少し分かれてもいいように感じています。

フランスワインに例を取りますと、あの原産地呼称制度としての「A.O.C.」そして「テーブルワイン」というクラス分けがあるにも関わらず、今のワイン市場はそれをあまり強く打ち出さない感じがします。
そして何と、1,000円クラスのワインで、このワインは高級ワインに全くひけをとらない味わいのワインですよという謳い文句のワインがあったりします。
有りと言えば有りだけれど。
でもやっぱり、有りなのかなあ〜と思います。

それぞれのクラスという括りがあって、その価値を競う。
その方が分かりやすいと思うのですが。
クルマでいえば、グレードに合った評価と価値が一致する。
軽自動車は、その良さ。
中級車は、中級車としての良さ。
そして、高級車は、それはもうまさしく憧れのクルマ。

だって、高級ワインが、これはもうホントに美味しい、いや素晴らしい。
と感銘を受けるような味でなければやはり意味がないですからね。
要するに「不味いなあ〜」と感じる高級ワインの理解に努めるよりも、美味しいなあ〜と思える味を探していくこと。
そういうステップを踏む方がワインをより理解できるのではないだろうか。
そういうところを通過して、それでももっと奥に進みたい。
ワイン通への階段を上がって行きたい。
と思った方が趣味嗜好品としてワインの理解とその楽しみ方を見つけられればいいのだと思います。

それは、最初は高級ワインの味を「不味い」と感じる人の方が素直なのです。
そこから始まって、最後はそのワインの魅力を満喫するようなワイン通になっていく。
それが一番いいように思います。

しかし、ワインって難しく捉えれば難しいし、ホント厄介ですね。
でもまあ、それが楽しいしワイン通になればなるほど興味は尽きないのでしょうね。
きっと。



2013.03

                                      
酒屋慶風トップ  
Copyright (C) 2010 happy-breeze.com. All Rights Reserved.